正解は
人は毎日「選択」しています。
「選択」が人生です。
これまで一体幾つの「選択」をしたのだろう。
「選択」する度に考えます。
正しかったのか?
正しい選択は「こっち」だったのか?
もし、「あっち」を選択していたら。
そこにあったのは「当たり」の3文字だったんではないだろうか。
「ああ、間違えた、あっちを選んでいればこんな風にならずに、むしろ・・・」
まあ、考えますよね。
これ、間違い。
「正解がどちら、どれだったか」を考えること。
あなたが選んだ方が、正解。
選んだことで、それが正解。
あなたが選んだ瞬間に、それが正解になる。
「いや、そんなことはない、私はあの時あっちを選んでいたら、こっちを選んだことでこんな最悪の・・・」
それはね、「選択後の行動」が不十分だったから、「選択」の不正解じゃないの。
「選択は正解、行動が不十分、もしくは不足、不一致」
だから、選択を悔いたり、引きずっても無意味、無駄。
人によっては、ずっと引きずってます。
「私が今このような状態なのは、あの時あちらを選ばなかったから、間違えたから、そのまま人生間違えて進んで・・・」
正しい選択をしたのです。
ただ、その後の行動がうまくいかなかったの。
不十分なのは「選び方」ではなくて、「選んだ後のあなた」だったの。
だからね、「選択」で人生決まらないの。
いくらでも、どんな風にも変化していくの。
「選択間違えた」に巻き取られないで。
「選択間違えた」と受け取ったら、もう変えられない、諦めと後悔の心に固まっていっちゃうから。
選択に「正解」があり、当たり外れを繰り返していく当て物みたいな人生が、本当だと言うなら、もう怖くて選択できないよね。
又外れ選んだらどうしよう?
なんでこんなに「運」がないんだろ。
どうせ又・・・
選んだことは全部正解。
選択は正解、行動が不十分。
だから、あなたの人生には「引けなかった当たりクジ」はないの。
そもそもな、生きてりゃ「当たり」なの、ただそれだけで「大当たり」
忘れてた?
よい一日を
流水
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